〈父の一周忌〉闘病生活から葬儀そしてその後の記録。最後にコストコおすすめの8月新商品は◯◯がたっぷり♪

えーこりん

皆さんこんにちはഒ˖°

今日も私のブログを見に来てくださって、ありがとうございます

8月15日は父の一周忌でした。
父は昨年の2025年8月15日に他界しました。
肉親を亡くしたのは初めてで、毎日とてもつらかったです。
1年経が過ぎ、だいぶ癒えてきました。

8ヵ月間の闘病期間があったから覚悟はしていたんだけど、覚悟していてもその日を迎えたのはめちゃくちゃつらかったです。

今回のブログでは【父の闘病の記録から順に綴ります】
今だからこそ書ける。
心の中を整理したい。
心配してほしいとか気にかけてほしいとかそういうことでありません。
そしてここに綴っておくことで私自身忘れないためにも綴らせていただきます。
そして”記事の中の何か”が誰かの支えになれたら嬉しいなと思う面もあります。

つらい内容もあるので、パッと見は見えないように工夫しました。
つらくなってしまいそうな方はドロップダウンを開かずにいただければと思います。

私たちは少しずつ悲しみを乗り越えてるので大丈夫です。
この記事を読んでも心配はしないでくださいね

①病気発覚まで【2024年7月~2025年1月】

なにかおかしいと思って父が病院を受診したのは2024年7~8月くらい。
診察してもらって、まずはリウマチと診断されました(私は付き添っていなかった)
「そうなんだ、早く治るといいね」と楽観視していました。

治療を開始しても体調は良くならず。
何度か再診した結果、2025年11月頃に癌が見つかりました。
珍しい癌なので公表は控えさせていただいてます。

さらに癌は末期でした。ステージⅣ。
病名や症状、余命などネットでたくさん検索しました。

検索していると、1年の生存率が低くてすごく胸が苦しかったのを覚えています。
(ステージⅣといっても癌の場所や年齢などによっても寿命は全然違います)

最初は “まさかお父さんにそんな…間違いじゃない!?” って思いました。
そして、謎に前向きで認めたくなくて、治るんだろうとも思ってました。
きっと薬が効くって。

それからは薬での治療をスタートするため2026年1月に入院予定も決まりました。

ところが入院を目前にして、新年を迎えるときには父の食欲が激減していました。

②入院と手術【2025年1月~2月】

2025年を迎えたときには父の体調が良くなく、毎年親戚で集まっていましたが中止に。
それでも日常は過ぎていき、食欲が激減したまま予定通り2026年1月中旬に入院しました。

入院後すぐに薬での治療をスタートする予定でしたが、診察の結果できなくなりました。
腫瘍で腸の通り道が塞がっていたため食べた物が少しずつしか消化できなくなっていました。
腸閉塞です。

すっかり食べれなくなった父は体力が落ちすぎていて、このままでは抗癌剤治療が始められないので手術をすることになりました。
数日後に手術の日程が決まり、手術、そして無事終了。

この手術がなかったら、もう父は食べることができなかったです。
父に最後の食べる機会を与えていただき、医療関係者の皆様ありがとうございました。

2月には流動食からスタートして食事をとれるようになりました。
痩せていった父が少しずつ元気になっていって安心しました。

③自宅療養【2025年3~5月】

入院したまま3月を迎えました。
薬での治療スタート。

食事は普段通りに戻り、薬の副作用確認も済んだため2026年4月上旬に退院。
父は早く退院したかったみたいで、急に決まりました。
母も私も「え!?退院!?大丈夫なの!?」って驚いたのを覚えています。

その後は月に数回通院しながら治療となりました。

退院後も4月はめちゃめちゃ元気で、好きなものを好きなだけ食べました。
特に思い出深いのが、北海道物産展での大好物「雑魚亭の海鮮丼」
食べたあとも「また食べたいな」って言ってたので母と買い足しに行きました。
父が望むならできる限り希望を叶えたい、力になりたいって思ってた。

減っていた体重がすっかり元通りに。
顔に肉が付き、以前の父に戻りました。
食べたいものをいっぱい食べれていました。
抗がん剤効いてるに違いない、良くなってる!って思いました。安心してた。

ところが診断結果は、癌には薬が効いてるか効いてないか分からないくらいでした。
5月には抗がん剤を変えました。

父は風邪ひかないように注意する必要があったので、家や日常の買い物くらいで過ごしていました。
少し食欲が落ちてきていたけど、まだ元気なほうでした。
ずっと楽しみにしていたディズニーシーのファンタジースプリングスに連れていきたかったし聞いてみたけど、トイレも近くなっていたし体調も少しずつ悪くなってきて行けませんでした。

救急搬送【2025年6月】

6月、父の食欲がどんどん落ちていきました。
私はレントゲンかCTかどっちか分からないけど病院で診てほしいと父と母に伝えましたが、病院が混んでいて急には撮ってもらえないし体がしんどくて長時間は待てない、とのことで診てもらいませんでした。
それに通院を続けていて診察してもらってるから大丈夫だし、薬が効くのを待つしかないよって。
後々のことを考えると、やっぱりCTとかで診てもらったらこの後倒れることはなかったかもしれない。
でも父と母を責めるつもりはありませんし、私も言うだけでそれ以上の行動をしなかったので後悔先に立たずです。

そして6月末…

夜に母から電話があって「救急車呼んで!お父さんが!!」と叫んでました。

とんでもない状況というのが伝わったので「分かったすぐ呼ぶ」とだけ簡潔に答えて電話を切り、救急車を呼びました。
救急と電話しているあいだ、ず手がずっとブルブルと震えてたのを覚えてます。
このときのこと、すごく鮮明に覚えてる。

タクシーで駆けつけたら、まだ救急車が停まっていて乗り込むことができました。
タクシーアプリ「GO」にお世話になりました、ありがとうございます。

救急車の中で父は横になったまま意識が戻っていました。

救急車で近くの病院に搬送。

病院へ着いて診断や治療を受けたあと、父は母と私に「迷惑かけてごめんな」って言ってた。
そんなこといいよ、生きていてくれるだけでいいんだよって思ったよ。

この日はレイドシャドウレジェンドの日本公式チャンネルでの配信予定でしたが、倒れたのが夜だったので配信はお休みさせていただきました。

病院で母から倒れたときの様子を聞くと、父は意識が朦朧しながら嘔吐を繰り返して倒れたそうです。

病院から提案していただき、父の希望で今まで手術や通院していた東京の病院へ転院することにしました。
この時点で22時くらい。
また救急車に乗り込んで、神奈川から東京の病院まで大移動しました。

東京の病院は、父自身が信頼している病院です。
私にはどうしてこの病院がすごく良いのか分かりませんでした。

移動と入院手続きで全て終わったのが夜中の1時を過ぎていました。
夜間も頑張ってくれてる救急隊員の皆さん、病院の皆さんに感謝です。

私の感情は、父が倒れたショックと、一命をとりとめた安堵と、この先の不安でぐちゃぐちゃでした。
タクシーで深夜2時30分くらいに帰宅。
帰宅してすぐ横になったけど色々考えちゃって1時間以上眠れなかった。

ちなみに母はなぜ自分で救急車を呼ばずに私に連絡をしたかというと…
時報にかけちゃったみたいです。
パニックになると119も分からなくなるのもわかる気がします。
私に連絡したあと思い出したようで、母からも119にかけていたみたいです。

救急隊員が来るまでの段取りとか完璧な母でした。

再入院【2025年7月上旬】

救急搬送後は最期の日まで入院となります。

入院から2日後、医師と面談をしました。
検査してもらった結果、やはり腸の一部が塞がっていました。
前回手術したところとは別のところに腫瘍ができていたんです。

もう手術はできないと言われました。

効果が出るか分からないけど他の薬を試すか、試さずに最期まで過ごすかという選択をすることになりました。
父は後者を選びました。
もう治療はしない選択。

そして余命宣告を受けました。
たしか…2~3ヵ月って言われたかな。はっきりと覚えてない。
人生で一番胸が苦しくなりました。

母と私は泣いていたけど、父は落ち込んだ様子だけで涙は見せなかった。
私は泣きながらも平常心を保とうとしながら、医師の話を最後までしっかり聞いてました。

病室に戻ると「お父さぁぁあん」と泣いてしがみついてしまいました。
父は「大丈夫だよ」と励ましてくれたけど、励ますべきは私なのにこんな時も父は弱さを見せなかった。
病院での面会時間が限られてるので、このあとすぐに病院を後にしました。

父は体調や気持ちがしんどくてもつらくても言わないんです。
言ってよ…って思いました。
恐らく体調を崩し始めた2024年の夏よりももっと前に不調は出てたと思うんです。
かっこいいけどダメだよお父さん…。

腸が塞がっているので胃の中のものを外に出さなくてはいけません。
父は鼻からチューブを挿し胃の中と外の排出バッグのようなものが繋がれました。
食べ物を食べていなくても胃液が出るので排出しなくてはいけないのです。

そしてこのときから食べ物が食べれなくなりました。最期のときまで。

数日後、胃の中が溢れて嘔吐し集中治療室へ運ばれました。
電話ではどうなるか分からないとまで告げられて気が気じゃありませんでした。
父は生死を彷徨いましたがなんとか意識を取り戻しました。

翌日だったか翌々日だったか忘れてしまったけど面会しに行ったら、闘病生活での最初で最後の父の涙を見ました。
きつかったって泣いてた。
母と3人でわんわん泣いた。

だいぶ痩せてしまって体力もなくなってしまってましたが、父は強い生命力でがんばったそうです。
看護師さんも「ダメかと思った」と話していました。

それから数日経って、通常の病室へ戻りました。
一命を取り留めたけど余命はわずか。

胸元に点滴差し込み口のような器具を埋め込る手術もしました。
点滴などこの部分から繋いでいくため、腕の血管がボロボロにならなくて済むそうです。

この時から私は父の希望で遺言書作成と転院のために動き回りました。
父は事情により、どうしても遺言書を作成したかったんです。

お見舞い・遺言書や緩和ケアがある病院への転院申請・YouTubeライブ配信・レビュー動画制作、そして家事など、ふとしたら涙が出るような精神状態でたくさんのタスクをこなしていたなぁと思います。
がんばらなきゃいけないことがあったから、精神を保てていた部分もありました。

家にいてもいつ緊急の電話が鳴ってもおかしくない状況だったのでスマホは肌身離さず、そして定期的にスマホをチェックしてる日々でした。

病室では、過去に一緒に旅行へいったときのアルバムを持って行ったりして、一緒に思い出を振り返ったりしました。
これはおすすめです。

転院【2025年7月中旬~8月】

余命わずかとなった父と少しでも長く一緒の時間を過ごすために、緩和ケアがある病院へ転院する意向がかたまったので急ピッチで進めました。

緩和ケアの病院へ転院ができるかどうかの面接がありました。
母は父の元に付き添っているので、私が面接に行きました。

面接で話したのは、家から距離があるけど万が一のとき間に合わないかもしれないけど良いのかとか、一時退院の希望とか、治療はしない病棟だという話とかだったと思います。
お医者さんが終始温かい言葉をかけてくださったので、号泣してしまいました。
そしてうちの緩和ケアに来てくださいって承諾してもらえて、父の望みを叶えられたことにも嬉しかった。

これまでの病院は日中に1時間くらいしか会えなかったけど、緩和ケアに転院したら朝から夜まで一緒にいられる。
母も父ともっと一緒に居たいと願っていました。

あとは自宅での看病も考えました。
でも常に非常事態への不安があるのと、自分たちで点滴を変えたり、腸が塞がって入るけどわずかに排泄もあるのでそれらのお世話は自信がなくて。
急変を経験してるから、とにかく怖かった。
父は自宅が良かったと思う。

代わりに体調が良くなったら一時帰宅も考えましょうということで話が落ち着きましたが、このあと一度も自宅に帰らせてあげることができませんでした。

いよいよ緩和ケアに転院。
この時点では父は看護師さんに助けてもらいながら起き上がり、車椅子でお手洗いにもぎりぎり行けていました。
でもめちゃめちゃしんどそうで、このあとは起き上がった姿を一度も見ることはありませんでした。

患者さんが寝たまま移動できるタクシーが存在するのを知ってますか?
私はこのとき初めて知りました。
もちろん普通のタクシーより料金が高いですが、病院と連携して患者さんが横になったまま病室まで搬送してくれます。
安心できました。

転院前はアイスしか食べる許可が出なかったけど、転院直後はアイスの周りについてるチョコも許可が出て、父は大喜びしていました。
ハーゲンダッツだけじゃなくてパルムも美味しい、美味しいって食べてた。
他にもいろんなメーカーの抹茶とか、バニラとか、チョコとか、桃味のアイスを食べてたよ。

個室だし、テレビも気兼ねなく見れたし、私たちも長時間そばにいることができました。

一緒に過ごせる時間がないからと、とにかく父の元へ行きました。
毎日がむしゃらに。
アイスしか食べれないから、アイスを欠かさないように準備していったり。

飲み込んでしまう心配があるけど、固形物を噛んで吐き出すことも可能でしたが、それは父が拒否しました。
当人にしか分からない気持ちもあるんだけど思います。
ただこういう方法もあるので、誰かの参考になったら嬉しいです。
父は少しでも塊を飲み込んでしまうとチューブが詰まってしまうからと、スープやアイスのみでした。

「食べられるときに、好きなだけ食べな」
そう言われました。
過剰摂取は良くないけど、食べたいものがあるなら、食べれるなら食べるようにと心に刻んでいます。

8月
一緒にいられる残りの時間が少ないと分かっていながらも、病院との往復や他にもいろいろやることがあって、私の体力も精神も限界でした。
もっとやってあげられることがあったのに。と今では思います。
でもその時にできる限りのことはしていたはず。

どんなに最善を尽くしても、亡くなったあと絶対に後悔するそうです。
“もっと~しておけば良かった、伝えれば良かった、あのときこう言わなければ良かった”と。
皆さんもどうか、自分を責めないでね。


父は日に日に痩せていきました。
病がどんどん進行し、胃の中に癌が広がり、潰瘍だらけに。
チューブから排出される液体が真っ黒になっていきました。

亡くなる前兆をネットで調べていた通り、寝てる時間も多くなりました。
しゃっくりが1日中続いている日もありました。

父にYouTube活動のことを話せてない…見てほしいと思ってスマホでチャンネルを見せようとしたけど、「眠くて今は見れないよ」と言われて見せるタイミングを逃してしまいました。
でも父は絶対に私が頑張ってることを応援してくれていると思っています。

寝てる日やしゃっくりの日もあったけど、亡くなる前日の8月14日は「あんぱんくいてぇ~w」と本気だけど冗談混じりに言っていたほどでした。

この日までの数日間、母が病院に寝泊まりして付き添っていたので担当の看護師さんが一度帰宅をすすめました。
「父がよく眠れるように眠くなる薬を使ってよく寝てもらって、また明日お見舞いに来てくださいね」って。

そして翌日。
2025年8月15日の朝、病院から連絡が。
状態が良くないからすぐに来てほしいとのこと。
お昼までもつか分からないとのこと。
急いでタクシーで向かいました。

父のもとへ駆けつけるとまだ意識がありました。
うなずくことはできるけどもう話すことができませんでした。

母が話しかけるとうなずいて、手を伸ばしていました。
ありがとう、ありがとうって母が何度も言ってた。

私も何か話したと思うけど覚えてない。
兄や親戚に連絡して、母のサポートもできる限りがんばった。

兄はお昼前に県外から到着。
まだ意識があるうちに会えました。
その後親戚も集まりました。

ずっと病室で大好きなクラシックの曲をスマホで流してあげていました。
ただ、酸素マスクがスゥーーーと大きな音だったので、父に聞こえてたかな?
聞こえてなかったごめん…皆さんも音量に気をつけてみてね。

お昼までもたないかもしれないと言われていたけど、18時までがんばった父。
少しずつ呼吸が小さくなっていく感じでした。

それからは私が葬儀屋さんへ連絡して、数時間後には葬儀屋さんが父を家に連れて帰ってくれました。
布団に父が寝て、ドライアイスをお腹の上や周りに敷き詰めてくれました。
そして部屋のエアコンは冷房を最低温度に設定。
真夏なので腐敗しないように。
仕方ないんだけどこれがめちゃめちゃ寒くて、父のそばに長く一緒にいるためには着込む必要があります。

緩和ケア入院後はつらい顔をしている時はあったけど弱音は一切吐かずに頑張った父です。
涙を見せたのも集中治療室のときだけでした。
しんどいって言っても良かったし痛いのを我慢しすぎだとも思う部分もあるけどそういう性格。
看護師さんも「痛くてつらくて叫ぶ人もいる中で弱音一切吐かない方でしたね」って言ってた。

家族にはすっごく優しくて、強くたくましい父を尊敬し続けたいと思います。

この日はRAIDの配信をお休みさせていただきました。

葬儀【2025年8月】

翌日からは葬儀の打ち合わせや準備も母だけに負担がかからないように、一緒に準備を進めてがんばりました。
喪主のようにがんばったと思う。

葬儀の見積もりは1社にしたけど、できれば2社がおすすめ。
憔悴してるときに見積もりってしんどいので、できれば亡くなる前に見積もりしてもらうのがいいです。
ただ、余命わずかな方の葬儀の見積もりってすごくしんどいので、遺言書作成や葬儀の見積もりはなんもないときにしておくのがおすすめ(それがなかなか難しい)

もっと安くできたかなって思います。
カタログは金額がテープに印刷されたのが貼られていて、きっと亡くなったあとだと高めなんだろうなぁとか想像しました。
小さなお葬式も提示金額は少ないけどあれやこれや足していくとけっこうな金額になるとXで見かけました。

棺のデザインからカバー、骨壺などいろんな物すべてを選んでいくので、お見積りは1~2時間かかります。
なので2社から見積もりもらうにはけっこう時間が必要です。

火葬場が混み合っているからという理由で火葬まで6日空きました。
葬儀当日までは毎日、母と一緒に霊安室へ父に会いに行きました。
火葬したら会えなくなっちゃうからと思って毎日会いに。

湯灌もしたよ。
自分たちにとって十分だと感じるくらいに手厚く父を見送りました。

YouTube活動に関しては、他界した当日は配信を休ませていただきましたが翌日からは配信復帰。
オープニング直後(スタートから2分くらい)に一度泣きそうになったものの、その時以外は感情に出さずに配信できた…はず!
(アーカイブは下に貼りますね)

父のことは1週間経ってから視聴者さんたちに報告しました。
皆さんには父が闘病していて私がお見舞いに行ってることも話していたので早く報告したかったのですが、言ったらすぐ泣いちゃうなと思ったからです。
泣けずに言えると思ったのが火葬も終わったあとでした。

私が急に父のことを話さなくなったから、”もしかして”と察してた方もいらっしゃいました。
きっと父も空から「よくがんばったね」、と言ってくれてたはず。

亡くなった翌日の配信アーカイブ

⑧その後【2025年9月~2027年7月】

2025年はレイドシャドウレジェンドの配信活動に加え、レビュー動画制作を続けていたし、2日に1回もしくは連日お見舞に行って毎日全速力で駆け抜けていました。
病気と闘っている父に会いに行くことが私の原動力になっていました。
そしてYouTube活動は、私の心の支えになっていました。

他界したあとはきつかったです。
父が息絶えていく時間を毎日何度も何度も思い出しました。
自分の中で「あ~病んでるな」って思うこともあった。
大切な人を亡くしてるんだからしょうがないですよね。
無理に悲しまないようにせず、とことん悲しむ日々を過ごしました。

半年くらいまでは作業の集中が途切れた途端に号泣してました。
用事で公共交通機関に乗っていても泣きそうになってしまうこともありました。
街中で父に似た人を見たときも泣きそうになったり。
夜は寝そうになったのに急に思い出してしまって泣いて、しばらく眠れなくなったりしました。

多いか少ないか分からないけど、毎月の月命日にお墓参りへ行きました。
ほとんど晴れていて嬉しいと思ったけど、
曇りなら亡くなった方が涙をこらえている。
雨は会いに来てくれて嬉し涙を流している。
そういうふうにどんなときも前向きに捉えるのが良いとお坊さんに教えていただきました。
素敵な考え方ですね。

亡くなってから1年が経ち、まだまだつらいけどふと思い出したときに泣くことはなくなりました。
時の経過が癒やしてくれるとは、こういうことなんだなぁと実感しております。
時間がかかりますので無理しないでくださいね。

もし、故人への後悔で胸が押しつぶされそうになったら…
「あ、自分をまた責めちゃった。そんな考えは望んでないよね。でも、やりきれずにごめんね。」と思うようにしていました。
そして「入院中はこんなことがんばったなぁ。病気が発覚してからは一緒に出かけられなかったけど、それまでは一緒に出かけて楽しかったな」と良い思い出を考えるようしました。
なかなか難しかったし出来てないときもあったけど、ほんの少し意識してみると良いかもです。

楽しかった思い出を胸に、日々がんばって過ごしています。
小さな頃から父が大好きでいっぱい抱っこしてもらったこと、父の足の甲に乗って向かい合わせで歩いて遊んだこと、プールとかいろんな観光地も連れて行ってくれたこと、夜遅い帰りのときは車で迎えに来てくれてたこと、一緒にいっぱいディズニーへ行ったこと…

父も元気に過ごすことを望んでいると思うので。
そして母のことも大切に。
人の命は限りがあるから儚い とは言ってもお別れはつらすぎるね。

余談ですが、ひろゆきさんは親しい人が亡くなったときのことをよく想像するそうです(切り抜き動画で見た)
この人がいなくなったら悲しいなって想像するんですって。
そうしながら日々過ごしていくと、いざそうなったときに受け入れられるのかな。
ネガティブに見えるけど、そう思うことでそばにいる人を毎日大切にしているとしたら素敵なことですね。

みんなもいろんな出来事を抱えて生きている。
あっちを歩いてる人も、こっちを歩いてる人も、何かしら抱えて生きている。
だからみんなすごいんだなって思うの。

せっかく生かせてもらえてるのだから、人に優しく過ごしていきたい。
自分を大切にしてくれる人のことを大切にしていきたい。
逆に嫌な人に使う時間はないのだ。

愛してるとか大好きとか、伝えられるときに伝えておこう。

最後に、コストコ新商品の「シュリンプアボカドハイローラー
右は前からお気に入りのシュークリーム。
エビたっぷりゴロゴロ入っててめっちゃ美味しかったです!
エビ好きにはたまらない商品です

えーこりん

最後まで読んでいただきありがとうございました

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